「おきなわごころ」オープン☆「拝み絵」の始まり | おきなわごころ、かみさまとの暮らし方
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「おきなわごころ」オープン☆「拝み絵」の始まり

「おきなわごころ」ショップオープン♪「拝み絵」の物語

今日、いよいよ「おきなわごころ」ネットショップがオープンしました♪(「おきなわごころ」まだまだ、調整が必要です>_<) かれこれ10年以上、口づてで絵を販売してきましたが、ご縁をいただき正式に「おきなわごころ」の「拝み絵」を販売することになりました。

絵本作家になることが夢だった私が、「拝み絵」を描いたきっかけは、お腹の子どもを無事に産んであげられなかったことでした。

産声を上げずに天へと還った子どもの場合、お墓やお仏壇を揃えないことが多いですよね。それでも、位牌をお願いすることもできますし、手元供養もできます。

私も一度は検討したのですが、「いや、まだ私の腰にいる…。」そう感じていたので、位牌を作って亡くなった形に整えることは、当時の私には、とてもできることではありませんでした。

このような気持ち…、分かる方も多いですよね。どうぞ今日は私事ではありますが、珠子が「おきなわごころ」の「拝み絵」を描くようになったきっかけに、お付き合いください。


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「おきなわごころ」ショップオープン♪
「拝み絵」の物語

 

赤ちゃんの供養から始まる

当時は新婚でしたがアパートで、まだヒヌカン(火の神)を家に迎え入れておらず、祖母や母が拝んでいる姿は見ているものの、まだ自分は若いような、時が来ていないような感覚が抜けていない時代です。

それでも、「この子は成仏させてあげなければいけない。」…そう感じるようになっていきます。

【 必要なことは、赤ちゃんが教えてくれる 】

☆ そして不思議なことですが、ユタさんなどに相談する必要はないようにも思えました。「この子が教えてくれる。」そう感じていたからです。

・ その頃、不思議と「次に自分がやるべきこと」が分かっていました。

最初は、開南交差点(那覇高校近く、公設市場裏出口)から延びる、仏壇通りへ行き、お仏壇は買わずにウコール(香炉)と水、お茶椀、りんを購入しました。ヒラウコー(沖縄線香)と「般若心経」も一緒です。

続いて、小さなアパートの家の一角に、ひっそりと拝み処を作ります

☆ そして毎日、ヒラウコーを拝して、般若心経を唱えるようになりました。この頃、時々は主人も私の後ろで、手を合わせてくれていたのを覚えています。

おきなわごころ2

 

初めての拝み絵は、小さな「白龍」

毎日、般若心経を唱えていると、自分でも困るほどにあくびが止まらなくなります。すぐ前までは、全くあくびなんて出ていないのに、拝み始めるとあくびが出て、出て、涙が流れるほどでした。

(実は今でも、あくびが良くでるのですが…(*^_^*)

もちろん、我が子へ般若心経を唱えているつもりなのですが、どうも数人は腰にいるような感覚もしています。

そして家で唱えるだけではなく、ふらと立ち寄った観音様と龍神様とご縁をいただき、話を聞いていただきました。その夜に描いた「白龍」が、今から思えば最初の拝み絵です。

【 尾てい骨に小さな「白龍」 】

☆ 龍神様に拝みながら、我が子へのグリーフ(悲しみを癒す)に絵を描こうと思った時、尾てい骨に小さなくるくると回る白龍をイメージしました。

・ 「龍」と言っても、この白龍は尾てい骨の骨を廻るような小さな龍で、胎児のようにも思えたために、私のなかで喪失した我が子と重なったようです。

…そして、アパートの一角にある小さな拝み処に、小さなA5サイズほどの、白龍の絵が加わりました。この白龍を見つめながら般若心経を唱える時間は、大きな私のグリーフとなったのです。

おきなわごころ3

 

目覚めで出会った、千手観音様

その後、子どもを妊娠し出産することができました。もともと体が弱い私は産後の日立ちが悪く、ひょんなことから麻酔が必要になったのですが、その目覚めで出会ったのが、千手観音様です。

これは専門的には「せん妄」と言うそうで、特別な話ではないのですが、私は助けられた気がしました。この時の千手観音様を描くことが、私の夢です。

【 くるくる番傘から現れた、千手観音様 】

☆ 目の前には無数の美しい、友禅のような絵柄の番傘がくるくると回っていました。

・ やがて番傘が広がり扉のように開くと、そこには眩しいほどの後光が差して真っ白に見える空間に、千手観音様が立っている様子が見えます。

今、思い起こしても美しく、「描きたい」とは思っていても、まだ描ききれていません。そんな時、とある方から観音経を教わりました

その後、転居をきっかけに神様を正式に迎え入れることになります。

沖縄では毎月一日・十五日がヒヌカン(火の神)への拝みですが、私は毎日が丁度良いようです。毎朝、観音経と般若心経を唱えるようになりました。

その他の祝詞は、その時々に合わせて唱えています。

そして千手観音様との出会いがきっかけで、昔から何気なく拝んでいた御嶽へ行くと、そのお姿を感じる、描けるようになりました。

【 ずっと支えてくれた、琉球の神様 】

☆ そして今、「琉球の神々をまず描きたい」と思うようになります。改めて振り返れば、私の後ろには多くの神々様、御先祖様が支えてくれていました。

スマホケース

 

いかがでしたでしょうか、今日は私事ですが、おきなわごころの拝み絵が産まれるまでの物語をお伝えしました。

最初の頃に描いていた拝み絵は、沖縄県北部の安須森御嶽(あすむいうたき)などで描いたものが多く、これらは後に沖展や他の展示会、最後にはボローニャ国際絵本原画展にも辿り着きました。

また、沖宮裏の天橙山や首里城の首里真森御嶽などで描いた、12色の「色珠」達も、沖展やボローニャ国際絵本原画展、フランス(ジャパンエキスポ)などで展示する機会もいただけました。

病院に多くの絵が寄贈された時には、今まで体験したことのない喜びを感じました。これはきっと、「私の絵」ではないのだと思えます。

商売ではなく「天命」、こう言ったら格好良いですが、主人にも見守られ、拝み絵を広げる環境をいただいた私の、「人生掛けた道楽」なのかもしれません。

皆さまに喜んでいただければ、それがとても嬉しいです。

 

まとめ

おきなわごころ、拝み絵物語

・きっかけは産めなかった子の供養
・お腹の子どもを描いた白龍が最初の拝み絵
・出会った千手観音様を描くのが夢
・ずっとサポートしてくれる琉球の神様
・拝み絵を広げることは天命で、最高の道楽
・この環境を与えてくれた皆さまに感謝


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